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数か月前の出雲で最も驚いたのが、大人も子どももマナーが非常に良いこと。まあ印象でしかないので、一応少し調べると、そのような印象を持った人は少なくないようだ。
日本へやってきた旅行者の日本選択の理由がそうであるように、ギラギラした発展への欲求や上昇志向が小さい世の中では、マナーの良さは、その地域へ強く人を惹きつける要素になる。日本国内の中でも地域によって大きな差があることに、多くの日本人はなんとなく気づいているので、人口移動に既に影響しているのかもしれない。もしかしたら、海外からの旅行者の行き先にも既に影響しているのかもしれない。
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山口県立美術館に行くと全館休館日で、ふらりと寄った山口情報芸術センターでは「太陽と土と糞から切り離したテクノロジーの再考」展が無料開催中だった。
意味あるいは意義のある情報は結局、実質の感触の代替としての情報。 マシンが扱っているのはそのような情報の代替であって、意味が捨てられている。 井戸ポンプは、世代を経るごとに樹脂化=軽量化が進んでいる。多くの機械も同じだろう。
樹脂化は更に進んで透明樹脂化すれば、不具合の原因がわかりやすい。多くの機械も同じだろう。また、機械と接続しているパイプなども。 井戸ポンプメーカーのカスタマーサービスにメールしてみた。設計部門を含む関連部署に伝えてくれたらしい。課題は強度。 国道2号線を東に向かっていると、竹原から三原に入ったところで、バックパックに閉じた透明傘を刺して、スマホを見ながら、同じく東に向かって黙々と歩く白人旅行者を見た。ラブホテルの廃墟しかないような場所だったので、車を止めて「この辺に何かあるんですか?」と聞きたいと思ったが、ブレーキを踏むまでには至らず通り過ぎた。
昼食をとった三原の道の駅「神明の里」では、新鮮な地元野菜もランチも良心価格であり、地元の街並みを一望できる場所でもあるため、以前から地元の人たちの日常の買い物や食事や憩いの場でもある。そこに外国人旅行者も少しずつ増えてきた。 尾道で用を済ませ、国道2号線を西に戻って行くと、かなり尾道から三原に入ったところで、バックパックに突き刺した透明傘が目に入った。あの白人旅行者が背中に夕日を受けながら、陰になっている表情は少し疲れて見えたが、さらに東に向かって歩いていた。 夕食は西条に立ち寄ってサイゼリアへ。高校生や大学生や家族連れや外国人でいつも混んでいる。西条の外国人比率から考えて、ここの外国人は旅行者ではなく住民と思われるが、サイゼリアは、安さと味とのバランスゆえに、旅行者を含む多くの外国人に絶賛されている。 今後のインバウンド施策の正解は、何もしないことだ。何かをするのであれば、ただ日常生活をすることだ。自分たちがより生活しやすくなることを願いながら。 (おそらくとっくの昔に)観光スポットは、重要な場所ではなくなっている。 アパート管理の仕事の中で、近々生成AIで代替できるようになりそうなことは、ほとんどない。つまり、日常生活に関わるほとんどのことには、少なくともしばらくの間、人手が求められるということだ。
そして、そのような人手の一般的対価基準が、下げられ続けているために、そのような分野では人手、特に若手が不足する。 一方、AIができる仕事の対価の方は、AIブームに乗せられて(コストに見合う以上に)高騰する。 それらの高価な仕事に関する知恵は人の無償労働によってAIに与えられ、人にとってはブラックボックスとなっている電脳空間の中で育まれ、人が締め出され始めている。 今のAI産業は、目的自体を間違えている。 人はどこかの家に住んでいるわけではない。
人の中にその人なりの地域が住んでいる。そして、バイパスなどで地域のイメージ?が変わる。離れが廊下でつながるように。 うろうろしたのはたぶん1年くらい前。
かつてとてつもない富が集積した残り香を町全体が放っていた。 資金があるほど経済的(&政治的)成功の確率は上がる。成功の確率を上げる手段の値段は総じて高いからだ。 明治維新の成功も長州藩などの資金力によるところが大きいのだろう。 日本が30年以上失われているのは、成功の確率を上げるだけの資金(が必要な手段)が、全体的な成功につながるだけの範囲に提供されなかったからではないか。 今年も紅葉の時期となった羅漢高原を抜けて行った。自然の中の生命はほぼ地球の公転や時点に沿ったサイクルの中にある。
SOZU温泉できょうは松茸御膳、夏は鮎御膳だった。人も公転や自転に沿った繰り返しがベースの世界でこそ安心して生きている感じはする。 しかし、繰り返しには、劣化していく要素が組み込まれている。 |
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