どう考えても、歴史上ゆるぎない根拠があったことは無く、しかし、なんとかするためにしか生きる術は無く、つまり、厳密には根拠が曖昧であろうと楽観を提供できるかどうかが、世界にとって最も重要なことかもしれませんね。
なんとかするしかない場合は、なんとかなると思っている方が気分的にも機能的にも良いはずです。 自分が教養や知性のある人間であることの明白な証明として、トランプ非難をしている有名人が多くいますが、現実に起こっていることの複雑さを見えなくして、正誤判断を急がせるための教養や知性は、非常に危険なのではないでしょうか。現実=トランプではありません。
まずは医薬が、偏った富の切り崩し対象となりました。
寡占が進み競争がバカバカしくなってしまっている業種のひとつとして。 金融やITも対象になるでしょうか。 企画において目的設定が重要なのは、正しい目的を設定できれば、その現場に関わることが可能なすべての人々が、目的実現によって称賛を得ようとする競争を始めるからです。
ベッセントが公平性という目的を執拗に提示してきたために、反トランプの有力者たちがトランプよりも熱意を持って、その競争に加わりつつあります。 ローマ教皇に扮したトランプの画像には反応しない方が良いのです。
冒涜であるなどと反応した途端に、トランプなどより遥かに壮大で深遠な宗教(ビジネス)の暗部についての認識の無い、非常に幼稚な人間のカテゴリーに入れられてしまいます。 トランプがスターウォーズの登場人物のような設定の画像についても同様です。 それはまったく美しくない画像ではありますが、特定のエンターテイメントビジネスに対して無批判な愛情を持っていることは、他人に誇るべきことではありませんし・・・ 権威主義者を炙り出す、この踏み絵のような手法、以前にもあったような気がするのですが、思い出せません。 今の動きは、初期条件の整備が目的です。
整備の前に壊そうとしているものがあるかもしれません。 ※ 同じ素材、目的を伝える報道と伝えない報道。それぞれに何か狙いはあるのでしょうか。 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-05-05/SVSN5HT0AFB400 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN052PU0V00C25A5000000/ 人々の無賃労働を自らの利益に変え続ける巨大IT企業と、人々の不安を自らの利益に変え続ける医療と金融そして政府(税金)。
目的(公平性)実現のために、これらのリバランスが必要と考えるのは狂気ではありません。 トランプを整理整頓する立場にあるベッセントの言説が、ほぼ、労働価値説をベースにしたプロレタリアート革命を目指すものになっていることを、自称マルクス主義シンパたちがまったく気づいていません。
企画において、目的を設定する目的は、過程をマシなものにすることです。
目的は完遂できるものでも、完遂すべきものでもありません。マシな過程が継続していくために。 おそらく、宗教なども同じだと思います。 ベッセント財務長官は常に、アメリカの国外国内に対する政策目的が、「公平」(公正)の一点に絞られるように発言を続けています。その目的(目標)の中には当然、トランプ政権の人気の源である、格差や貧困の是正が入っていることも、彼は表明し続けています。
単なる思い込みの可能性もありますが、彼のこれまでの言葉の端々には「プランナー」の雰囲気を感じます。つまり「目的」実現のためにベストを尽くす、(大統領の発言とかも含む)目的以外の諸々はとりあえず正誤判断を保留し現象と捉え、その現象をなんとか目的につなげる方法を考えていくという気配です。 「公平」(公正)の正当性を疑う余地はありませんので、何をもって「公平」(公正)とするかについての駆け引きです。目的が明確にされた駆け引きにおいては、実は方針の一貫性などは、ほとんど問題になりません。より目的に合致している(ように見える)案かどうかの争いです。 で、「公平」(公正)方向に進むと困る層が絶大な力を持っているのではないかというのが、世界でかなり広く共有されて(しまって)いる感覚です。これを社会の不安定性と見るか、(必要な)変革のためのエネルギーの高まりと見るか、で気分はかなり違うのだと思います。 日本の報道は、「公平」(公正)という目的の明確化に対し、(国内的社内的事情への影響を考慮し?)報道スタンスを決めかねているように見えます。 |