組織内や組織対組織において、何で利益を得るのか、何を消費するのか、利益を誰にどう分配するのかについて、(ある程度の)合意をするためには、(ある程度の)思想や理念の共有が必要です。
ですから、企画書も必ず、思想や理念っぽいものの実現を「目的」として設定します。 アメリカとの交渉が、ビジネス交渉と言われているようですが、それが全くビジネス交渉そのものであっても、合意できるかできないかは(かなりの程度)、話合いのアンカーとして設定される思想や理念の問題です。 トランプ政権が人気を獲得した「思想とか理念みたいなもの」は、大まかには(実態はどうであれ)「格差是正」です。そこに日本政府?は乗りたくないように、見えなくもありません。 あらゆるものに疑いの余地のあることが常識となってきた世界で納得感を得られるのは、試行錯誤することだけだと思われますが、今まさに、定まらなさの中で生きる本格的な実験が、世界的に始まっているように見えます。
そういう用語があるのかどうか知りませんが、「(注目されている人物が)何を考えているのかわからない」状態は、メディアなどでの解釈熱が盛り上がるなどして、その注目人物への関心がさらに高まることにつながる場合があります。
今回の場合、アメリカの大統領ですから、多くの人が解釈せざるを得ませんし・・・。 最大目的は、「選挙に勝つ」から「注目をさらに高める」に、素直に?移行しているように見えます。 ところで、マーケティングについてですが、注目度を高めるために、コピーを疑問形で始めるというお決まりの方法があります。もちろんつまらない疑問ではダメですが・・・ マーケティングの考え方の多くはアメリカ生まれですが、そこに通底しているのが、人々に最も強く訴える(行動変容)動機は「公平性」であり、「公平」についての考え方は様々であるものの、歴史はなんだかんだ常に「公平」に向かって動いているという、思想みたいなものです。
「公平性」を求める気持ちに触れる戦略を考えることができると、だいたい自社のものがよく売れるわけです、という風に言いかえると自己矛盾な感じもしてきて、より冷静になれるわけですが、ともかく「公平性」にはマーケティング戦略であることも忘れさせ、倫理性や使命感みたいなものを帯びる力があるわけです。 で、トランプ政権のスタッフが「公平性」について語るとき、その内容は、真反対の立場であるサンダースの発言に近づきます(なぜ誰もそれを言わない?)。というようなことなので、「公平性」は揺るぎない「真実」に近いような感じもするわけです。 アメリカとの交渉において、「公平性」について、必要があれば「倫理的真実」として語ることが出来るスタッフが日本にいることを祈っています。(商談とはちょっと違う展開に見えます・・・) グローバル「競争」へ参加して幸せなのか?
所謂「進歩」は自分にとって何なのか? ファンダメンタルな疑問は一度抱くと頭から離れません。そしてその疑問を戦略的に使ったトランプは大統領となりました。 トランプ政権から発せられる「常識」外れの経済政策の理由付けのために、(財務長官が意識的に)このファンダメンタルな疑問を前面に出し始めたことで、政策が正しい回答であるかどうかとはあまり関係なく、この「メガトレンド」は益々多くの人々の心を巻き込みつつあり、既に大統領の動向や人気や意図とも関係なく生き残る力を持っているように見えます。 (少し希望を持って眺めると・・・) |