「教科書が読めない」人たちが溢れているとのことで、多くの人が読めていない文章の例を見たのですが、単に悪文でした。
恐怖訴求を繰り返せば、その影響力をじわじわ広げていきます。訴求していることが間違いであっても。 「本当に大丈夫ですか?」と優しく聞くフォーマットもありますが、そう聞かれ続けると、大丈夫でないような気がしてくるところを狙っていたりします。 そういうことを商売にしている人が多すぎるような気がします。 ギャバード国家情報長官が核廃絶を訴えたことについて「トランプ政権にこんなこと言う人がいるんだ」と多くの人が戸惑い、評価しかねていますが、60歳以上の人は、大規模な軍縮が意外にも、トランプ政権に近い扱いをされていたレーガン政権下で進んだことを思い出しているのではないでしょうか。
この世界では、何がどう作用しているのか、年食ってもぜんぜんわからないので、素直に期待はしておこうと思います。 既得権益を守るための陳腐で嘘っぽい論理ばかりになってくれば、弁証法的な展開に進むしかないのだと思います。
虚構をあぶり出すには対立が必要なのだと思いますが、なるべく悲しみの少ない対立を。 できればユーモアに満ちた演出を。 1970年代に「ぜんぶ糞だ」と歌っていたパンクロックを今聞くと、その明るさに驚かれると思います。
その後、陰鬱な気持ちになるための社会を、几帳面に、細かな心配りをしながら、築いてきたような気がしないでもありません。 有効求人倍率は、ハローワークに登録された求人・求職情報に基づいて算出されています。.
ハローワークの現在の利用率、利用状況を考えると・・・。 「人手不足」に、マシとは言えないフィクションが含まれていることを予想させます。 求人関連の(怪しいものを多く含む)民間サービス乱立は、求職者や求人する企業のためになっているんでしょうか。 大きな対立に纏わる25語以内で粗筋を語れるお話。
これはヒットする映画の法則と言われているものですが、人に訴え、動かす力があるのは、いつも二項対立のようです。 二項対立は常に、ディテールを切り捨てたフィクションではあるのですが・・・マシなフィクションを望むしかなさそうです。 昨夜、久しぶりにAmazonPrimeVideoを覗くと、おすすめに「パリ、テキサス」があり、40年ぶりに観ました。
ネタバレしないように書くと、家族3人が最長4年間最短数日間行方不明になるロードムービーなのですが(笑)、ボトルネックを滑らせるライ・クーダーのギター演奏とともに、すき間だらけでゆったり進行する物語と、会話の行間?を伝える演出を堪能できました。 率直な感想としては「こういうので、ええかもね」 おそらく公開当時の自分は、琴線に触れる映像を作ったら負けみたいな感覚のクリエイター志望者でしたので、「こういうので、いいわけない」と思っていたような気がします(笑)。 で、きょうの夕方は、ロードムービーっぽい景色?が続く東広島バイパスを走りながら映画を振り返っていたのですが、「パリ、テキサス」のようなロードムービーが、今は不可能なことに気づきました。 とぼとぼと歩く自分、車に乗ってとりとめのない会話をする家族や仲間、かつては道に居る間は世界から隔絶されていて、それが観る側にとっても作る側にとってもロードムービーの大きな魅力であったと思うのですが、現在のように整った通信環境では隔絶にリアリティーがありません。 数日であっても行方不明や音信不通になるには、かなり特殊な事情が絡まなければならない世界になりました。 車で流しっぱなしにしているYoutubeMusicのおすすめ曲として、久々に聞いたようなギターストロークが鳴りまくっている、でも明らかに昔の曲ではない曲がかかりました。モニターに”At The Beach, In Every Life” Gigi Perezと表示されていました。 「こういうので、ええかもね」 2つの「こういうので、ええかもね」は、同じという感じがしているのですが、で、「ええ」のは何なのか、うまく言葉になりません。 ノスタルジーでないことを祈りつつ・・・。 ※ Gigi Perezは、いろいろなビデオも(の方が?)ええかも。 (使い方によっては)秀逸なキャッチコピーになり得た「楽しい日本」ですが、ぜんぜん有効に使われなかったのは残念です。
「楽しい関税」「楽しい米価」「楽しい税金」「楽しい国会」などなど、追求してみる価値があるというか、なんでも分断の方向へ進んでしまう傾向の強い社会の中で追求しなければいけないことだと思います。 「楽しい」という言葉の持つバカバカしさを使いこなす力があれば(欠片も感じませんね)、少しは流れを変えられたのではないでしょうか。 どう考えても、歴史上ゆるぎない根拠があったことは無く、しかし、なんとかするためにしか生きる術は無く、つまり、厳密には根拠が曖昧であろうと楽観を提供できるかどうかが、世界にとって最も重要なことかもしれませんね。
なんとかするしかない場合は、なんとかなると思っている方が気分的にも機能的にも良いはずです。 自分が教養や知性のある人間であることの明白な証明として、トランプ非難をしている有名人が多くいますが、現実に起こっていることの複雑さを見えなくして、正誤判断を急がせるための教養や知性は、非常に危険なのではないでしょうか。現実=トランプではありません。
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